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2011年9月29日 (木)

近い遺産⑨ 「国崩しレプリカ」

秋眠のばかたれを覚えぬため

ややおそめに目覚めたのでありますが

朝刊にはデデンとこのような記事

Taihou21 神田さん、ロシアに行ってたんですね

目が覚めた

宣教師ルイス・フロイスの残した「日本史」は

キリシタン大名を思いっきり持ち上げて書かれているので

「どうせ都合のいいように書いてるんだろう」と思われがちですが

このように実際、記述と符合する事実が出てくると

船のって異国の地にきてあんな分厚い書を

わざわざ都合のいいことだけ書いたとは思えませんです

この発見により

またいろいろな考察・推測が幅を広げるのでしょう

よって、この記事にあやかって

近い遺産⑨ 「国崩しレプリカ」

Nanban_kunikuzushi サーラ・デ・うすき にもあるし

臼杵城の真ん中らへんにも展示してます

大友が島津軍を追っ払うため

臼杵城からぶっぱなした

国内では実戦で初めて使用された

「フランキ砲」

のレプリカ

(本物は靖国神社にあります)

臼杵にお立ち寄りの際にはぜひご覧いただきたい

こう思います

2011年8月 2日 (火)

近い遺産⑧ 「大分銀行臼杵支店跡のプレート」

臼杵の町は

古いものがいいからといって

何百年も変わらない不燃物のような

そんなやっかいものを

次世代に力づくで継承させんなら

放射能と同じじゃねえか

このように思う今日この頃

暑中見舞い申し上げます

残すことで肝心なのは住む人の見極めであり

学者の査定ではない

思いますです

近い遺産⑧ 「大分銀行臼杵支店跡のプレート」

昨日 仕事の帰りに 

本町の中央付近にて呼び止められ

「一杯のんじいかんか」と誘われ

そのまま前田先輩(キューピーちゃん)の店の前で

おそくまで生ビールを御馳走になった

大分銀行の社員さんたちもご一緒で

急に立ち上がった前田先輩(キューピーちゃん)は

「ここにあんたたちの会社が昔あった」と

社員さんらに自慢げに話しだした

20110801204712

現在のサーラ・デ・うすきの横にある一角

(釘さんではない事はいうまでもない)

ここには以前、大分銀行臼杵支店があり

自分もかなり前に写真をみせてもらったことがあるが

立派な洋館作りの建物が建っていた

現在はそこに「大分銀行臼杵支店跡のプレートだけが残っている20110802073051

普通に通り過ぎると気付かないが

当時、臼杵の金融機関としてはけっこうすばらしい建物だったらしく

その旧跡と伝えるあかしとして

ささやかに残っている「さりげない近い遺産」である

しかるに

前述した町の残し方にしても

このような方法があるということを

どうか覚えておいていただきたい

2011年7月 8日 (金)

近い遺産⑦ 荘田平五郎記念子ども図書館 (&読み聞かせのお知らせ)

「星の宵 読み聞かせ」のお知らせ

とき 8月6日(土)18:30から

ばしょ 荘田平五郎記念子ども図書館

957_2

ミワリークラブはこのイベントに紙芝居か妖怪話か、

とにかく何らかの形で参加(乱入?)する予定

そのほか「よむよむの会」のみなさんによるブラックシアターなどがあります

この図書館を近い遺産登録いたしますです

この図書館は三菱財閥の大番頭・荘田平五郎(キリンビールを命名した人)が

若いころ学問をさせてくれた郷土・臼杵への恩返しに贈った建物です

今は子ども図書館になっていますが 

新館ができる前はこちらが本館だったということです

当時、市にある図書館としては極めて稀で

イギリスなどを留学し、日本の近代化に大きな貢献をした

荘田平五郎らしいイキな贈り物であります

2010年9月23日 (木)

近い遺産⑥ 畳屋町のカギ型路地

大分県のからあげは

全国に向けて

自慢げに、大々的に売り出すほど

本当においしいのか

はたまた

他県に比べて際立った特徴が

はたしてあるのかないのか

心配で心配で昼寝もできない今日この頃

皆様方におかれましては

ますますご清祥のこととお慶び申し上げます

「近い遺産⑥」

八町大路を辻方面から平清水方面へと続く一本道。

本町筋を過ぎて畳屋町に入り、現在「石敢当」のある市営第三駐車場を横切ると

道が「くねっ」となっております

太田が城主のころ(稲葉の前)の検地帳にもすでにこの形態になっており

おそらく城下構築時にもこの形式で道が作られたのではないかと思われますが

この特殊な路地を「近い遺産⑥」に登録します

先日、会員・書庫磨とこの路地の話になり、

「なんであげな形になったんかのう?」と問いただしたところ

「八幡さまを避けたんちゃう?」との答えが返ってまいりました

つまり、この一本道をそのまままっすぐ通したならば

養元山という小高い丘にある「八幡宮」にぶち当たってしまうので

これを避けんとするために道を「くねっ」とまげてしまったのではないか・・・・

このような結論に至り、われらの中では納得しました

都市計画を変え、わざわざ一本道をまげてしまうほどの

信心深さが昔の人ならではである

こう思うわけです

碁盤状でなく

島城の入口が唯一陸地につながった城下、

辻を中心に放射状にのびた面白い形状が

へんてこな道を生んでいるわけです

他にもこの路地同様おもしろい地形が各所に残っておりますが

作られた経緯などを推理するのが楽しい今日この頃であります

2010年7月 6日 (火)

近い遺産⑤ 「井戸」

低価格で手軽に食することができて

小バラを満たし、あるいはそれなりのボリュームもあり

なおかつ美味くなくてはならないのが

B級グルメの醍醐味というものであって

それをB級グルメと呼ぶか呼ばないかは

世論が評価するものであって

最初から

「B級グルメを開発しました」などと言っている商品

もはやB級でもグルメでもないのではないか

またそれに乗じている町も

流行りとはいえ、えらい剣幕ではあるが

よっぽど名物がないのではないか

このように思う今日このごろ

善男善女の皆様方におかれましては

「あれなら自分でつくれるやん」と

胸中、お察し申し上げます

近い遺産⑤ は「井戸」

生活用水であった井戸も現在は利用価値は失われ

その原型をとどめながらも風雪に耐えております

辻にはロータリーの中に「大井戸」があります

これは周辺地域の共同井戸で

同じような機能で使われていた平清水の大井戸も現存です

二王座は香林寺の前にもあります

同じく二王座から田町へ下りる甚吉坂には金毘羅井戸

サーラ・デ・うすきの中にもあります

浜町・小手川酒造の隣の井戸

掛け町・クランクインの近くの井戸など

ここで挙げているのは

町歩きで見れる範囲の井戸ですが

町八町のいたるところ、古い各家の土間、庭などにも

古い井戸が多く、今も残されています

井戸は水神様の領域

必需であり神聖な場所だけに

禁忌や祟りもいい伝えられ

簡単につぶすことは厳禁であったため

隣近所が同じ屋根で連なった臼杵のような町では

自ずと絶滅から抵抗し続けているのではないでしょうか

またこの井戸という施設、

機能的には不要になったとはいえ

しっくい壁などと同様

臼杵の町づくりにとって省略しがたい設備ではないか

このように思う今日この頃であります

2010年6月21日 (月)

近い遺産④ 啄木茶房ふしみや

インターネットは世界の窓

個人の中傷や批判などする場所ではない上に

自分のようなちょこざいな哺乳類の分際で

しかも法に守られていながら

国家権力に刃向うのもどうかと思うけれど

道路のわきに設置されている

「わき見運転注意!」の看板は

それ自体を見た瞬間に

わき見運転になるんじゃねえのか

大バカ野郎

このように思う今日この頃

皆様方にはおかれましては

天気に振り回されっぱなしのことと存じます

近い遺産④

啄木茶房ふしみや

ここは唐人町通り、ちょうど稲葉家下屋敷から南の方角にまっすぐいった突き当りにデデンと構えております

屋号がふしみやさんなのですが、なぜ啄木茶房なのかと申しますと、ここのご先祖が自分を女性と偽り、石川啄木にファンレターを送っていたわけであります。

そんで手紙をいただいた啄木は、相手が野郎とも知らず恋文を送り返し、以来何通もの文通をやり取りした結果、その子孫であるふしみやさんの家に啄木直筆の手紙が残っていた。こういうわけであります

このような一見サギみたい(失礼)な通信も、当時にしてみれば啄木自身、どこぞの熱烈なファンともいえぬ相手に対し、文人らしく受け答えをしているところはやはり、昔の人は純粋だったのだなあ・・・こう思う次第です

もともと旅館だったというこの特殊な建物の構造が外観からも見て取れて、現在はその名のごとく茶房で、喫茶 軽食などを楽しめる懐かしい空間となっておるわけです。

おもろいエピソードと古き町並保存をも担ってきた建造物に対し、近い遺産登録であります

2010年6月14日 (月)

近い遺産③ ごーーーーん

「臼杵城は城址か、あるいは城跡か」などと

「 どっちでもいいやん」と言いたくなる論争が 過去にめぐらされておりましたが

つまり史跡的には漢字をどう書くかで

その重みが変わってくるという兼ね合いから

純粋かつクソ真面目な歴史家にとっては

かなり重要なことらしいけれども、

自分にしてみれば

「城址と城跡はどっちが格上か」、などということは

「おすぎとピーコはどっちが男前か」、と言っているも同然で

たとえば

臼杵祇園祭のかけ声「ソーリャー」とは何の意味ですか?

といった質問にしても

自分にしてみれば その前に

加藤茶の「ハ ビバ ノンノン」とはどういう意味か?の方が

よっぽど深刻な疑問である   

そのように思う今日この頃

みなさま方におかれましては

ますますご清祥のこととお慶び申し上げます

近い遺産③は臼杵城「時鐘櫓跡」

つい先日、臼杵ロータリークラブによって復活した「ごーーーん」という鐘音。

町中に時を告げるこの音は自分などにとってなつかしい。

80年代までは大門櫓に向かって右の畳櫓にあった鐘つき堂だったのですが、しばらく休止していたのを本来の正式な時鐘櫓跡に移し復活させてくれたのです。

臼杵城が城として成立していたころはこの場所にて機能していたということですが、なぜ近代になってそれが畳櫓になっていたのか?・・・・

じつはここには臼杵の人々らしい「とんち」をきかせておったのであります

明治時代、廃城になった際、他の櫓は崩すことになりました。

しかし、卯寅櫓と畳櫓だけは残すことになったのです。

その理由として卯寅櫓は「稲荷を祀っているので」、もうひとつの畳櫓は「鐘つき堂として残すため」、それぞれいいわけが成り立って崩さずに今に至った・・・というわけです

場所は変われど臼杵の町にこの音が鳴るのはじつにマッチしており、なんとなく心地いいいのであります。

なんといっても我々妖怪クラブにとっては薄気味悪さを少しだけ増幅させてくれてありがたい・・・・こう思うわけであります

2010年6月 8日 (火)

近い遺産②  野上弥生子文学記念館

近頃、近代の臼杵の偉人を盛り上げようと

財界で活躍した人物を発掘しておりますが

一週間すれば犬のウンコもその場になくなる臼杵の地表にて

偉大な名前を残すほどの人はやはりすばらしいと思うし

それはそれで

今後も熱心で我慢強い郷土史家のみなさんにまかせりゃいいか

などと思う今日このごろ・・・

みなさま方にはさぞかし麗しい日々をお過ごしのことと存じます

偉人をソフト面で盛り上げる一方で

問題は「ハコモノ」・・・

とくに野上弥生子文学記念館

臼杵が誇る女流作家ですが

年々入館者は減少傾向にあり

このままでは維持管理費 人件費など

入館料だけではまかなえなくなるのではと心配されます

ある時期臼杵は、ハコモノを作ってはそのまま

みたいな傾向があったような、なかったような・・

サーラ・デ・うすきにしろ、最初はいいが、後の仕掛けがゆるやかで

利用法やイベント、継続的な宣伝が見当たらなかった結果ではないか・・こう思うわけです

無論、これには規約上・制約上できることとできぬことのはざ間で

利用を制限されているのも、また原因と言えるのではないか・・・こう思うわけです

またそれを支える市民運営委員会も、

団体代表者とか、教育面、健全育成面のスペシャリストとか、 

かたよった選抜では思い切った発言力に欠けてしまい、

行政・民間ともに、

まずいと評判の宗麟カボチャの調理方法と同じぐらい頭の痛いところであります

現在あるこのようなハコモノの利用法・継続するべく方法に

直接つながるかはべつにして

野上文学そのものをもりあげる手法を自分なりに考えたところ

以前臼杵市でやっていた「野上弥生子・読書感想文コンクール」

これを少しいじって 「臼杵ヤエコアワード」なるもの設立してはどうか・・

つまり読書をした文章の感想を募集するのではなくて

臼杵を題材にした小説を募集し、

優秀作品には賞状・記念品を与え、

上位入賞作品は製本し販売する・・

売上を館の維持費等に役立てる・・・

これによって郷土が育んだ文学と

現代の臼杵になぞらえた新しい文学、及び才能の芽に

陽を当て、水を与えるきっかけになるのではないか・・・ こう思うわけです

んで、結局それも金かかるんじゃあねえのかー

などと思う今日このごろであります

2010年6月 2日 (水)

近い遺産①

府内(大分市)は大友宗麟の「生まれた場所」というだけにもかかわらず、

あつかましくも駅前に銅像なんぞ建てやがっておりまして、

お隣津久見市ではこれまた宗麟「最期の地」というだけなのに、

大げさにも「大友公園」なるものを設置しておりますが、

府内にいたころの宗麟はまだ「大友義鎮」と名乗っており、

臼杵に来て禅宗に帰依し「宗麟」と名乗り、

津久見で死を迎えるころはキリスト教に入信し「ドン・フランシスコ」を名乗っておりますので、

よーーーーーーーーく考えると

「大友宗麟の町」と

はっきりきっぱり言えるのは

結局臼杵だけじゃああねえのかああ・・・・・・

などと思う今日この頃、

皆様いかがお過ごしでしょうか?

さてこの度、当会の怪しくも嘘くさい活動のおかげで「気色悪い町」というようなレッテルを貼られつつあるわが町臼杵に対し、数々のご無礼をお詫びするべく「近い遺産」と題して郷里への恩返しともいうべき外部向けPRカテゴリを新設いたしました。

つまり世界遺産とまでもいかぬが、当会にとってなくてはならぬ町並みの一角やら、一部の人に普遍的価値のある文化・史跡なんぞをご紹介したい・・・・こう思うわけですな

記念すべき近い遺産登録第一号は本町の「鑰屋」

江戸時代からあるこの商家は現在味噌醤油を基本とした物産・土産を売るお店として、商店街のほぼ真ん中あたりに君臨しており、臼杵藩主稲葉の従士として慶長のむかしより臼杵に根付いている伝統と風格・店構えを今に残す貴重な近い遺産であります。

鑰屋はその歴史の重みもさることながら、店の店主である可児さんもたいへんユニークな人物でありまして、店内に可児家のご先祖と歴史的著名人との交遊関係が見れる展示がなされておるのですが、それについて聞こうもんならおそらく30分くらい余裕でしゃべりまくってくれます。

ちなみにこの家には古くから白狐の言い伝えもあり、ご主人これについても口酸っぱく教えて下さいます

少人数でのぶらり散策がお好みの方、地元でしか味わえない人との会話などを求める方々にはぜひこの鑰屋のうんちく&プチ自慢を味わっていただきたい・・・・こう思うわけです